十 鬼の正体
 鬼が心に宿るのは、人の世の常。
 いかにおだやかに暮らそうとも、生きている間に、欲のかたまりとなってしまうのも、人間の姿。
 不動産屋は、「桜ひろばにマンションを建てたい」という男に出会ってしまった。
 商売がうまく進めば、巨額の富が手に入る。
そして、大人社会のビジネスという隠れ蓑を着て、ひろばを大切に思う人々を踏みにじり、桜の精の逆鱗(げきりん)に触れてしまった。
 桜はなんとしても、子どもたちからこの広場を奪わないよう、念じていた。
『殺すつもりはなかったが、まあ、人生五十年の世の中で、六十五まで生きたあの男は、十分すぎる、一生分の利益を超えるほど、欲望を持ってしまったのだ。罰が当たったとおもえばいたしかたないのだ。たいした価値のない欲望だが、それに気づかないままの人生だったことが憐れよの』
 不動産屋は建てたマンションの中に、学習塾とゲームセンターをつくり、遊び場を失った子どもたちに、新しい遊び場を与えるのだと住民に説明していた。
 驚くことはないさ、夢かなう前に、寿命が来たのだ。
 軽い心筋梗塞を起こしていた。
 なのに、安静に出来ず、契約を交わす相手のところへ無理を押して出かけようとした矢先、玄関先で倒れて、帰らぬ人となったまで。
「自業自得なのだから、誰も責任など感じる必要はない。まして、紗枝が何も思い悩むいわれはないのだよ」
そういって、おじいちゃんは紗枝の背中をたたいてくれた。
 いくら桜の精がなぐさめてくれても、つらくなって紗枝は、とうとうおじいちゃんに胸のうちを聞いてもらっていた。
 おじいちゃんの返事とは裏腹に、涙が後から後からあふれてくる。
 ちょっと前の強気な男勝りの紗枝が、影を潜めてしまったようだ。
「紗枝は、やっぱりおじいちゃんの血を受け継いでいるようだ。ひろばの桜は紗枝のような子が育つ間は、きっとあそこを砦にしてくれるつもりさ。だから紗枝、そんなに自分を責めなくていいんだよ」 
 紗枝は、いつか杉太が「どうして絶対ひろばがなくならないっていいきれるんだよ」と、ふしぎがって聞き返したことを思い出した。
無意識に、桜がいわせたのかもしれない。
 杉太には、涙の意味を誤解されたくないと無性に気がかりだった。
 新参者の杉太だけど、若武者のようなまっすぐな心の持ち主であることを紗枝は十分わかっていた。
おじいちゃんは続けた。
「働き者の八百屋さんにしても、お菓子屋さんにしてもこのひろばを店にしていく、大仕事が負担だったんだ。子どもたちを代々育ててきた、そのひろばを永久的に、商売をしていく場所として譲り受けていくわけだから、そのために徹夜続きの毎日だったはずさ。寝不足で運転すれば、事故は起きて当たり前だ。桜ひろばを失くすってことは、大人が精一杯がんばっても叶わないほどの大仕事だってことさ。はじめから、そんなことわかりきっていたのが、桜の根っこなんじゃないのかな」

  十一   桜の砦
 紗枝は、杉太たちの目を恐れて逃げ帰った後、発熱した。
 三日寝込んだ後、なまった体を動かそうと、一人で桜ひろばを訪れた。
 ゆっくり、あの、ポイントに近づいてみた。
 初夏の夕方、太陽もまだ高いところにいて一日の終わりはまだまだ来ないようだった。
 原っぱが、子どもたちに踏み固められて、天然の芝生のように青々と広がっている。
 紗枝が、桜の根っこの埋められているはずの、こんもり盛り上がっている、ピッチャーマウンドのような形の場所に目を留めた。
 この前は、杉太と足で土をけりあって少しへこんでいる足跡がまだ残っていた。
気まずさがまた、よみがえって熱がぶり返しそうに思えた。
 すると、地面に顔をむけた紗枝の目に小さい木の芽が急に飛び込んできた。

 草とは明らかに違う黄緑の角のような、植物の苗を発見したのだ。
 とっさに、
「あれ、これってもしかして・・・」
 紗枝は、おおあわてで駆けもどって、電話で呼び出しをかけた。
「とにかく、早くひろばに来てみて! 今すぐに」
洋平も杉太も、
「了解」
 としか、いえない紗枝の迫力だった。
 そうだ、おじいちゃんにも見てもらおう。
居間で、新聞を読んでるおじいちゃんにも、
「桜が、桜が、大変よ。おじいちゃんも来てみて」
弟の健はつられて後を追った。
 父も母も、紗枝のあわてぶりに、仕事の手を休めて、店を飛び出し、後姿を見送った。
 なんだか、夕焼けが、季節外れの桜色に染まって見えた。
「紗枝、こりゃ、桜の芽だよ」
 おじいちゃんは、しゃがんでめがねをはずして確認しながら、はっきりいった。
「よかったなあ、後継ぎが生まれたか・・」
 その後、おじいちゃんは遠く、夕日の沈むほうを見ているらしく、だまったまま動かなくなってしまった。
 紗枝は、ゼイゼイいいながら走ってきた杉太や洋平に、いつになく手を振って、笑顔を見せた。
「紗枝ちゃん、どうしたんだよ」
 洋平が少し先に到着した。
 紗枝は、だまって笑顔のまま、桜の芽を指差した。
 杉太がつく頃には、急げ急げと手招きしてしゃがみ、その小さくて力強い命の息吹を見てよと、アイコンタクトを送った。
 杉太は、いままでなかった紗枝の素直な感情表現に面食らった。 すごい事実がわかったとたん、紗枝の変容ぶりがものすごい勢いで理解できた。
 心の底にすとんと落ちてきた。
 紗枝は、着いてきた弟の頭を抱き寄せて、
「健、あんたは、肉が裁けるようになりなさい。お姉ちゃんは、明日から、母さんの手伝いをして、コロッケ作りの修行をするからね」 びっくりして、
「ねえちゃん、熱が出て、頭がおかしくなったんじゃないの」
 姉を見上げた。
 こつんとこづいて、言った。
「ばーか、熱が出て、普通になったんだよ。ね、おじいちゃん。ね、未来のお医者様」
(今までは普通じゃなかったってみとめてら)笑おうとしていた杉太は、話を振られ、あせっていた。
「そ、それはさあ、味見してみないとなんともいえないよね」
 紗枝からの厳しい反撃を覚悟していってしまった。
 バシッと来るかと思い目をつぶろうとしたとき、
「そうよね、杉太君と洋平君はしばらく、毒見担当で、食べてもらうからよろしくね」 
 妙に素直な態度が、新しいプレッシャーとなったのか、洋平と杉太は顔を見合わせた。
 涙でうるんだ紗枝の目の前に、あの小さい木の芽が再び飛び込んできた。
 三人は、桜の木の芽を、まるで宝石を見つけたみたいに、両手で包み込むようにした。
 ながめながら山桜の白い花が満開にかすむ未来の風景を、予知夢のように同時に感じていた。三人そろって目を閉じ、
「桜ひろばがずっとつづいていきますように」
 声に出し手を合わせた。
 辺りはまるで友情の印(しるし)みたいなあかね色にそまっていた。
ひろばのとなりで、気配を感じた大山さんが、歩いてきた。
 おじいちゃんに深々と、挨拶をして、わけを聴いていた。
「何年先になるかわかりませんが、ここにまた、あの見事な山桜の花が満開にかすむ日が来るんでしょうな。わたしは生きていられるかわからんが、楽しみですな」
おじいちゃんの言葉を聴くと、大山さんも、桜の木の芽を宝物を見つけたみたいに、両手で包み込むように見ながら、感激していた。
「間違って、ここをコンクリートで固めずにいて、よかったです。ほんとうによかったです」
 大山さんは、目を潤ませていた。
 夕焼けの濃い赤紫のなかで、そこにあつまったみんなが、だまったまま大山さんの言葉にうなずいていた。  
紗枝は、このひろばを、そして、この桜の命をずっと守り続けていきたいと、心に決めていた。
 この町で、おいしいコロッケを揚げながら。

おわり