八
 ユキタは、夢か現実か一瞬迷ってしまった。
 あの滝から飛び込んだ時の、ヒスイの滝つぼに潜っていた。
 身体の感覚は、あの時のままを覚えていて、ちゃんと飛び込めた。
 抜けめなくヒスイのかけらを拾って、岸へ泳ぎ着いた。
 あの時代のあの場所にいることの不思議さと現実を受け止めている。
 石舞台から見える滝はあの時のまま雄姿を見せた。
 さらに、帝大付属桜ヶ丘高校の飛び込み台から飛び込んだときの、しましまの海パンをはいているという現実も。
 空は快晴で、夏の太陽がじりじりと肌を焼く。
 こんなところでいつまでも寝転がっていたら、全身の水分を蒸発させてしまうと思った。
 とにかく、もう一度、エネドに遭(あ)いたいと思った。
 それにしても、(ミキオが後から落ちてきたはずだが)、と滝つぼに目を凝らして探していた。
フーワが飛んできた。バサバサいわせて、さけんだ。
「頭いいのはほんとだな。身をかわしていたよ。あいつ」
 フーワの飛んでいるすぐ下に、夏物の白いワイシャツと、紺色の学生ズボン、妙にこの時代にはそぐわない茶髪が、あおむけに、のんびり浮いているではないか。
「ミキオ、上がって来いよ。これから、会わせたい人がいるんだ」
 ミキオの茶髪と同じぐらい、この場にそぐわない、しましまの海パン姿のユキタだった。
 ミキオは流木が流れ着くようにきしまでやってきた。
 背中についていた守護霊が変わったのか、つきものが落ちたみたいに穏やかな表情になっていた。
 ユキタには、ミキオの様子を察することができた。
「大丈夫か、詳しい話は後でゆっくり。とりあえず、もう一回、オレについてきてくれ」 あのときのように、フーワが真っ先に飛び込んでいった。
 つづいて、ユキタ。
 そして、それを見たミキオもあの時のユキタのように勇気を振り絞って、石舞台を蹴って飛んだ。
外の高温から、天然のクーラーの部屋に入ったみたいだ。
 フーワとユキタが、ミキオを待っていた。
 ユキタはよしっと握り拳を両脇にかまえた。
 気合いを入れた感じで、ほほえむとミキオは、不安そうに洞窟内を見回した。
「おまえより観察力があるみたいだな」
 フーワの指摘は、的確だと思えた。
「そりゃそうだよ。見栄義塾きってのエリート特待生だぜ」
ユキタは、自分のことのように自慢したかった。
「なんだそれ」
と、フーワは理解できない様子。
「なんだそれだよ。まったく、ムササビのいうとおりさ」
 ミキオ本人は、ため息まじりにつぶやいた。
「ユキタ、節穴はユキタほどではないよ。それは認めるよ、ミキオは回転の速い頭脳の持ち主だな」
「そうだろ、だから、エネドからヒントをもらえば、すごいことできそうだと思うんだよね。このことに気づいたオレだってすごいでしょ?」
「まあな、昔に比べればね」
「ええ、その程度の評価しかないの?」
 ミキオは、ユキタとフーワのやりとりを、くすくす笑いながら聞いている。
「フーワ、こうもりのすみかは、伏せなくてもいいのか?」
「ああ、もう顔なじみだからな」
 二人と一匹はゆっくり洞窟の奥に進んでいった。ユキタはなつかしい姿をみつけた。
「よくもどってきたな。おまえたちが去って、闇が晴れてからしばらくはよかった。しかし日照り続きで、ヤマルは大変なことになったのじゃ。今、戻ってくれたことはありがたい。だが、別なわけがあって、わしをたずねてきたらしいな」
 白いヒゲ面と長い白髪の、あの時の老人が、出迎えてくれた。
 縄を編んだ敷物の上へ、二人並んであぐらを組んで座った。深々と頭を下げたのはユキタだった。
「お久しぶりです。私はここでのできごとの記憶をなくし、今の時代に生きています」
「うむ、して、そっちにいるわしの白髪にも似たような
髪の色の少年が、ミキオかな」
「はい、ヤマルにかかった黒雲の闇とは違いますが、夢語り姫のような、きびしさのなかにつつみこむようなやわらかさをもつすてきな方にめぐり逢ったことがない奴です。私があの時ヒスイを探し、闇と闇の隙間に矢を放つことができたのならば、ミキオにもできるのではないかと思いました。記憶を呼び覚まし心の底からエネドにお会いしたかったのです」
「フーワがもうしていたとおり、短い間に、たくましく成長したのう」
 老人は、目を細め何度も何度もうなずいた。
 老人が一呼吸つくのを見計らって、ミキオが頭を下げた。
「はじめまして、不破未来男といいます」
 元の世界では、ずいぶん見られなかった、普通のあいさつができるミキオにもどっていた。
「よくきたのう。で、何をしてほしい。ユキタは心配をしているようだが、今ここにいる未来男どのには、落ち着いた面もちで、足りないもいのなどないように見受けられるが」
「あ、ありがとうございます」
 目を涙でうるませながら、お礼を言うミキオだった。
 ユキタは、ミキオの変わりように驚きを隠せなかった。
「どうしたんだよ。急につっぱるのはやめたの?」
 ミキオは、うすら笑いを浮かべて話し出した。
「水に落ちた瞬間に、『心眼を開け』という声を聞いたんだよ。あの一言で全部わかっちまった感じがする」
「すげえ、やっぱり、見栄義の特待……」
「やめてくれ、そのことに触れるのは、ほめ言葉には聞こえないんだ」
 ユキタには、言葉をさえぎったミキオの本心が伝わってきた。
バサバサ、フーワがうれしそうに飛びまわっている。
「その心眼の声はおれだぞ」
と、自慢げなムササビを、二人は笑顔で見ていた。
 老人は、フーワを落ち着かせてから、興味深げにたずねた。
「わかったこととは?」
「今まで、ぼくが自分で生きていなかったってことかな」
「親のやっかいに、なっていたということが、わかったのか」
 老人の確認に、ミキオは首を横にふり、すぐに言い返した。
「やっかいになんてなってなかった。飼い慣らされてただけさ。えさをもらって」
「ミキオ、それはちょっと言い過ぎじゃ」
 ユキタは心配になってきた。
「ユキタの家とはちがうんだよ。ぼくの家は。喜びとか、悲しみとかを感じる必要のない家なんだ。正しくもない。しいていえば、勝てばいいんだ。何にたいしてもただそれだけ」
 老人はゆっくりうなずき、ミキオをやさしい瞳でみつめ、穏やかに話し出した。
「ここでは、おまえの力が役に立つぞ。ユキタは、一度ヤマルを闇から救ったが、今度は、雨の降らない、飢饉から救わねばならない」
 老人は語った。
 知恵が必要だ。
 新しく世界を切り開いていけるのは、若い力だけだ。 
 いつの時代も若者が、危険に立ち向かう勇気を持ち合わせている。
 そこに、考える力が加わるのだから、心強いことだと。
 ユキタは、ずっと聞けずにいたことを口にした。
「あなたが、やはりエネドなのですね」
 老人は、黙って目を閉じた。
 腕組みして、口だけを動かした。
「そう。エネドの化身かもしれん。長く生き過ぎたが、まだ死ぬわけにもいかぬ。時折、おまえたちのような若者に出会うのが楽しみで生きているのかと思わされるぞ」
「では、ヤマルに豊かな水をお与えになられたのですね。だけど、そのとき、死者も出たのも本当ですか」
 エネドは、黙ってうなずいた。
 ミキオが、ぼそぼそと言った。
「天変地異が起きて、死者が出ないなんて、現実にはむりだろ」
 非情にも、冷静なところが、ミキオらしかった。
ユキタにはまねできない、判断力だった。
「真実を司る夢語り姫とて、わしと同じような願いを持っておる。若者に期待をかけておる。成長して、世の中を動かしていけるだけの力量をもつことを信じて今も、見守っておるのじゃ。ユキタや、ミキオのことを」
ユキタは、優しいまなざしではあるけれど、厳しい任務を与えられたように感じた。
 それに、夢語り姫がエネドと同じように見守ってくれてると知り、両手の握り拳に思わず力を込めた。
「現実を司る天照大神は、ときどき熱くなりすぎるのじゃ。ミキオの母親と同じじゃな。悪気はないのじゃ。以前闇を生んだのも夢語り姫との喧嘩が原因じゃ。ヒスイの矢を射て、体温を下げてやらねば」
 夢語り姫の名をエネドの口から再び聞き、ユキタは気になったので思わずたずねた。
「夢語り姫は、エネドにとってどのような方なのですか」
 フーワがバサバサあばれだした。
「ユキタはまだわからねえの」
「親子関係にあるのかな」
 あっさりミキオは口にした」
「ミキオ、さすが、察しがいいね」
 フーワがほめ言葉をかけた。
 ミキオは腕組みして考え込んでいたが、確認するようにたずねた。
「失礼かとは思いますが、天照大神を射るということは、エネドの娘さんを射るということになってしまいますが」
「ミキオ、それはないとおもうよ」
 ユキタが否定しようとすると、
「いや、ミキオの言うとおり。天照大神を射るということは、夢語り姫の姉を射るということにもなるぞ」
 エネドは、興味深げにユキタを見ながら言った。
「だって、エネドの娘なんてありえねえよ」
 ユキタは動揺を隠せないまま、ミキオの顔を見た。
 ミキオもうつむいて、考え込んでいた。
 エネドは続けた。
「天照は、太陽じゃ。この飢饉を救うには、少しばかり冷めてもらわねばなるまい。おまえたちの時代にも、少なからず影響が及ぶのじゃから。その時代の天照とは、ミキオの母親かもしれんがのう」
とんでもないという表情で、ミキオは大きく首を横に振った。
「はっはっはっ、帰ればわかるよ。エネドの家族とはそもそも、定めとして、そのくらい傷を負うことを覚悟して存在するものなのじゃ。いや、与えられた任務に近い。そのことに気づいた人間が今まで少なすぎた。そして、今、目の前の若者が気づいたようだ。ユキタよ、おまえの連れてきた、おまえが救おうと、ここへよこした友を、しっかり受け止めなさい。そして、背負う悩みをぶつけてやるのじゃ」
「はっ」
 ユキタは深々と頭を下げ、ミキオと向かう新たな挑戦へと、覚悟を固めていた。
 今回は、タロウとソウスケはいない。その代わり、ミキオがいる。
 ヒスイはもう拾ってきてある。
 ユキタは飛び込み台から、予想していたのだから、我ながら、よくやったと思っている。
「ミキオ、いっしょに天照を射ることで、ヤマルを救おう」
「精神的理由は、分かるけど、実際どうすればいいのか、僕にはぜんぜんわからないんだけど……」
ミキオが、まじめに考え込むタイプだなんて、ユキタは思いもしなかった。
「夏の天照は、明け方に大きく、そりゃあもう誰でも射抜いてみたくなるようなすきを感じさせるはずじゃ」
 エネドが、ヒントをくれた。
「腕が鈍ってるかもしれないから、練習してからにしたいな。フーワ、オレの弓矢を持ってきてくれないか。それと、上に羽織るものをたのみたい、寒くって。ミキオは太陽のどこを狙えば、確実に温度を下げられるのか、考えてほしい。明日の夜明けまでに」
 ユキタは完全にここでの記憶と感覚をよみがえらせ、もとにもどった。
 ただ、エネドやフーワには、あの時よりも、たくましさを増していると感じさせた。