ユキタたちの中学校の東側に、小さい川をへだてて、帝国大学付属桜ヶ丘高等学校という有名私立校がある。
ユキタの通う山留中の二階奥、第二音楽室から、桜ヶ丘高校の二つのプールが見える。
 一つは五十メートルの競泳用プール。
 もう一つは、私立ならではの施設と思うが、飛び込み専用のプールがある。
 飛び込む衝撃を吸収するための水深は、五メートルとも十メートルともうわさされ、実際の深さを知る者などあまりいない。
 夏場の授業中、たまに、飛び込みの練習に遭遇することがあった。
 そのたびに、自分のストレスまで解消できる快感があったことを、ユキタは鮮明に記憶していた。
 いつか自分もあんな風に飛び込めたら、気分爽快だろうなと心ひそかに憧れていた。
 ミキオにもそんな体験をさせてやりたいと思う。
 一歩まちがえれば、いじめだなんだって、外野からでっちあげられそうだ。
 とんでもない事件へ発展させようとしていることを、平凡のユキタにも予想できる。
 やりにくい時代に生まれたものだ。
 それほど難しい問題じゃないのに、小難しくねじ曲げるのが、現代の闇だなあとも感じる。
 きっと、ミキオのことも、よってたかってねじ曲げた奴がいるんだろうな。
言葉じゃないんだよな。
ユキタは、自分の部屋で精神の記憶をたどりはじめた。
 月を想い、瞑想に入り込んでいた。
(エネドに会ったら、なんて言おうか。『夢語り姫に会わせてやってください。私が受けた幸せな思いをミキオにも感じさせてやりたいのです』)

 ザザザッ、なぜか、なつかしい風切る物音とともに、頭上を飛び回る気配。
 ギャーギャーうるさい。
「フーワか?」
 目を閉じたまま、たずねてみた。
「まだ、どんくさいままでオレの助けを求めるとは、進歩のない奴だな」
 ユキタは、満面の笑顔で、眼を見開いた。
「その、どんくさいやつがもう一人いるっていったらどうする?」
「やめてくれ、もうたくさんだ」
 フーワのとんでもないぞと言わんばかりの声が返された。
「だけど、そいつの節穴の目を治さないと、この、今の時代の闇が晴れないんだ」
「うーむ、そのために姫さまが、行って来いと言われたんだ。仕方あるまい、ユキタの企てに協力するよ」
「ええ、姫が?」
 心も顔も和む呼び名だ。
 ユキタは、ほほの筋肉をゆるめっぱなしにしてしまった。
「なに、でれでれしてるんだ」
 フーワのするどいつっこみに、少しあせって答えた。
「あ、ありがとう、時代を超えて飛んでくるのは大変だったろう」
「お、少しは、周囲のものへの、配慮らしきことができるようになったんだな」
「なんか、フーワにいわれると、そうなのかなと、うれしくなるよ」
 ユキタはつづけた。
「ミキオってやつ、頭はいいんだけど、このままだと完全に友だちなくすタイプになってしまうんだよ。これ以上悪の道へ行かずに、このわけの分からない闇をオレたちといっしょに取り払う側の仲間になれないかな。何か大きな事にチャレンジして、つまらないことでくよくよしないでほしいんだ」
「それで、また飛び込んでみるのか」
 フーワにたずねられて、迷いを感じているユキタだった。
「あのときは、確かに理由がはっきりしていた。エネドのおかげで。だが今回は時代も違うしそうしたほうがいいような気がしているだけなんだよな」
「じゃあ、聞いてやるよ。エネドに」
「ええっ、行ってこれるのか?ここから」
「まかせておけ、いま、ユキタを連れて行くわけにはいかないからな」
 窓から、ムササビは飛び去っていった。